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scrap’s blog

If you like water, you already like 72% of me.

療育ってどうなんだろうね。
PDDが認知され始めた今、考えられた教育を受けたのなら、今の僕は違っていたのかな。

お世話になっているブロガーのご子息の成長が気になります!

(それはさておき長男くんイケメンだよね)

 

僕は、途中まで定型として生きてきた。
生まれてから高校卒業するまでを育児とするなら、その期間は全て定型だった。

当時は自閉症はともかく、発達障害なんて認知はほぼなかっただろう*1
当然僕は療育なるものを受けていない。

 

でも、父親には感謝しています。それが全て。

以下、家族紹介につき読まなくても大丈夫ですよ!

 

小さい頃の僕

僕は一言で言うと、変な子だったろう(育った今は変な人だ)

小さい頃の記憶はあまり残っていないのだが、木の実はもちろん雑草や木の葉を食してみたり(保育園)、休み時間中どれだけ数を数えられるか教室の片隅で挑んでいたり(小学生)、ノート一枚にどれだけ書き込めるか極小の文字で隙間なく書き埋めたり(中学生)、学校祭の屋台で出資金を数倍にする奇策を思いついたり*2(高校生)、兎にも角にも遠くに行きたくなり九州まで行ったり(大学生)、中退後職や拠点を転々としすぎて同窓会で「ぎょうしょうにんかw」と言われてしまったり(フリーター)・・・まぁ控え目に平たく言って変人ですね*3

 

 

家族

僕たち兄弟が「親」という時、兄弟一致して、大抵「父親」のことを指しています(母は健在していますが)

それくらい父の影響力があった。
というより父に育てられたと言っても過言ではないでしょう。

 

父も変人ではありますがPDDではない。
PDDの素質を持つのは母で、僕は母が苦手です(最近克服しつつある。大人になった)

なお、兄弟の中でPDDを受け継いだのは僕だけのようだ。

 

姉は姉で極端な人だけど、彼女の場合は全てがプラスになるような神がかった何かが備わっているみたい。

弟は兄が取りこぼした性能を全て受け持って生まれてきたような存在で、アトピーであった以外にこれといって大きな欠点がない。

が、父も姉も弟も、なぜか一目置いて接してくれていた。
ありがたいです。

 

父と我が家の教育

最初に断言しておくと、父は悪者ではない。

ただ、過激なだけです。DVな方向に。

 

説教されるとき、兄弟全てビンタはもちろん、拳骨、程度によっては蹴られました。
・・・あ、全てではなかった。弟は例外。

僕の場合は特にひどかった。

上記はもちろん、浴槽に沈められたり、習い事の帰りに車から放り出され置いてきぼりにされたり、カレーザラ数枚を頭に叩きつけられて失神寸前に追い込まれたり、包丁投げられたり・・・

うん、アウトだね・苦笑

 

ただ、理由がなかったわけではない。
むしろ(ちょっと過激だけど)相応の理由があったと、今では理解しています(大人になった)

が、もちろん当時はそんなことありません・笑

そんなことをされ続けたもんだから、ただでさえ縮れ麺状の僕の心根は見事にひん曲がりました。

 

・・・幸運だったのは、ひん曲がりすぎてぐるっと一周。歪曲しながらも今は本来あるべき方向に近い方角を向いているということでしょう・笑

 

大切なことなのでもう一度書きます。

父は悪者ではない。
父親として男として、育児に真摯で必死で、捨て身でもあった尊敬すべき人物です。
(・・・手グセはいただけませんが)

 

療育

このように僕は療育とは無縁の教育を施されてきました。

親が療育熱心だったらどうなっていただろう?
想像することはできませんし、あんまり意味もないですね^^;

むしろあの父に、長期的な忍耐を要求する支援は難しいでしょう。断言できますb

 

正直なところ、僕はあまり支援に関して良い印象を持っていません。

安定と引き換えに自由を狭めていると思ってしまうのです。
もちろん安定は大切です。ただ、なんと言いましょうか。見境がなさすぎる気がするのです。

 

ある問題を目にして、その問題が障害なのか個性なのか、それは冷静に見定める必要があるでしょう。難しいですが。

他害をする子と物理的距離を離せば、他害に到らなくなるのは当然です。
でも、他害をする理由はなんでしょう?

どうすれば(その子が望むなら)皆と一緒にテレビを見たり遊んだりできるのでしょう。

 

棚という棚にラベルをつけ、置き場所を明示するのは有効です。

でも将来、修学旅行に行ったとき、一人暮らしを始めたとき、親がその先にラベルをつけて回ることはできません。

なぜものを放り投げてしまうのか、なぜ片付けようと思えないのか、それに本人が気づくきっかけは本当にないのでしょうか。

 

ただこれは、僕が働いていたとある施設に限った話。

サンプルはたった1つで、他の施設はもちろん、親が子に施す療育の実態を僕は知りません。

支援員よりもより自立に近い、親ならではの手腕を発揮していることに期待してます!

 

・・・うちの父には無理そうですが!(ただのDV)

 

変態

今、僕がある程度応用を利かせられるのは、あくまで普通(?)に育てられてきたことがベースになっているように感じます。

自分に自信が持てない理由のひとつは行きすぎたコレでしょうから、デメリットもありましたが。

 

かりそめの定型から晴れてPDDとされた今、上記の働いていた施設の古株スタッフの言葉を思い出します。とても大切なことだと思います。

「支援も必要だが躾も大切」

 

僕たちだって、発達障害の前に人なので。

(定型→PDDへの生活の変化を表現したくて使った変態。変態はヘンタイではなく生物学上の意味です。僕は変人だけどヘンタイじゃあない。近いけど)

 

蛇足

こういう意見もある。もちろん、これはこれで理解できる。
僕も両親を恨み自分を恨んだからね。

 

当時の僕は、なんというかな。なぜかうまくいかなくなった、その矛先を親に向けたんだと思う。
(逆にうまくいっていたなら、親を責めるという発想にならないよね^^;)

正直なところ、一般的な幸せから遠い位置にいると今でも思うよ。「定型だったらどんなに楽だったのだろう」って。

普通に恋愛して、普通に恋人を持って、ちょっと痴話修羅場なんかあったりして、乗り越えて、結婚して、子供ができて、子育てに悩んで、「お父さん嫌い!」なんて言われたりして、子供の一大事に血相変えて飛び出していって。
普通に大学を出て、普通に就職して、上司を愚痴りながら人間関係を構築して、ちょっとリスキーでスリリングな案件に関わったり、仲間とともに夜の街に遊びに出たり、出張なんぞで飛び回ったり、嫁に「あらもう帰ってきたの?(帰って来なくたっていいのに」なんて言われたり。

そんな(誰かが描いたような)普通さを思い描いていた頃は、本当に辛かったな。

 

でもこれ、自分じゃない誰かになりたかった、ということだよね。
いやそれは真実なんだけど。

辛くても悲しくても、自分は「誰か」じゃない。それを追いかけるのは間違っているんだと思う。

実家が貧乏だったからといって、自分の将来を貧乏にする必要はない(影響はあってもだ)
親がPDD(疑い)だったとして、自分までもがPDDの枠に収まる必要なんてない。

 

「PDDの枠?枠から出られないからPDDなんじゃないの?」というのは正解。

でもさ。

他の誰かのPDDを、自分に適用していないかい?

コミュニケーションが苦手だ。確かにそういうPDDは多いけど、自分の苦手がそれかはわからないでしょう。単に経験が足りていないだけという可能性だって、十分残されているんだ。

人とうまく関われない。確かにそういうPDDは多いけど、それはネガティブな方向だからであって、空気読めず顔色伺えられず我が道を突き進んで成果を得るPDDだっている(海外の成功者に多い感じだね)

10のうち10できなければ「できない」のではない。6できるのに10放棄するのは滑稽だ。6できるのならまず6やりながら、残りの4について悩めばいい。

 

「努力はしている」努力は認めるけど、大切なのは方向性と成果だ。

過大でも過小でもなく等身大の姿の自分を把握して、やってみませんか。
幻想のような誰かになりたがるのを、やめてみませんか。

僕は高卒無職童貞虚弱体質から、10年かけずにここまで*4来れた。
未だ自信が持てない自分を解決できていないけど、それはこれから5年でなんとかする。 

PDDについて周りの誰がなんと考えていようと関係はない。あれこれいうその誰かが何かしてくれることなんてないからね。
なんとかするのは親でも他人でもない、僕自身だ。

 

ま・人それぞれだけどね。

*1:とはいえ、自閉症は読んで字の如く内に籠る病と誤解されていたようだが。今もだけど。常々思うけど、これ命名が悪いよ・・・

*2:一人1500円→8000円。全体で30万近い売上・・・僕のせいで「学校祭で荒稼ぎは厳禁」と言うルールが設けられたらしい。ごめんよ後輩

*3:姉は伝説の人、僕は変な人、弟は憧れの人、と言う立ち位置でした

*4:高卒正社員元カノあり虚弱体質