scrap’s blog

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片付けられるアスペ

(片付けられないアスペの広告を見て。)

 

無職になったとき親元に住むことにした。

それまで15kmほど離れた隣市に住んでいたが、多くの悩める同胞と同じく片付けられない人だった。

いわゆる汚宅である。

引越しをするときは苛烈を極めたっけな・・・

当然、親元で暮らすようになってからもそれは続いた。

狭い自室で足の踏み場もない状況。

鬱だったから?
否、そんなのは言い訳だ。

 

狭くて薄暗い居室でパソコンをいじる日々。

それは皆様が想像する引きこもりのイメージに等しい。

それまで散々(いい歳して)叱られても、一向に変わる気配はない。

我ながら大したひん曲がりっぷりだったと思う。

 

きっかけは些細なことだった。部屋の蛍光灯が切れたのだ。

薄暗い空間なら気にしなかったが、さすがに夜間真っ暗でディスプレイの光が部屋を照らす状況は良くない。主に目に。

早速蛍光灯を交換した。
新品の蛍光灯はまばゆく隅々まで部屋を照らした。

はっきりと浮かび上がる陰影。

このとき初めて現状を理解したのだと思う。

 

それからは早かった。

手当たり次第に物の整理を始めた。

整理というより「捨てる」行動が主だった。断捨離だ。
引越しのときにある程度整理したはずなのだが、そのとき持ってきたものも捨てた。

久しぶりの床全面と対面する頃には、やりがいすら感じていた。

 

ある程度片付けに区切りがついたとき、ふと考えた。

「今キレイに片付けても、また元のようになるかもしれない」

どうすればそれを回避できるか。
キレイを維持できる人の行動がわからなかった。

しばらく悩んだが、あっけなく視界がひらけた。

何か解決策を思いついたわけではない。

 

僕は発達障害者だ。

そしてその道の(元)プロである。

単純なことだ。“支援”すればいい。

僕はセルフ支援を始めた。

普段通り生活してみて、“これまで”を観察し記録する。
評価し、分析して問題点をあぶり出す。
自然な生活ができる程度の解決に必要な“最小限の”アプローチを考察する*1

 

結果的に模様替えを行うことにした。

意図したところは以下にある。

  • 居室内での行動範囲を可能な限り広げる
    汚宅であったときもケモノ道程度には床が存在した。これを広げる。
  • 必要な場所を散在させる
    上記と重複するが、全てを一箇所にまとめるとラクだけど、生活範囲が固定されそこが巣になる。必要に応じて移動を強制させる。
  • 雑箱の設置
    かといってバラまいてはいけない(とりあえず何でもかんでもその辺に置く癖がある)。全部まとめて一箇所に。

細かなところでは、

  • ペットボトル禁止令
    廃棄が面倒だからね(濯ぐラベル剥がしキャップとり)。環境的にはアレだけど燃やせるゴミ可能な紙パック推奨。
  • 照明の追加
    気づかなかったことにしよう、ができないようにする
  • 室内禁煙
    どんなに気を使っていても灰は飛び散るし、固定圏内に常にゴミを置いておくことを許可するようなものだ(のちに分煙が面倒になり完全禁煙に至る)

というのもあったなー。

 

効果は絶大で、以降汚宅を再現することはなくなった。

現在は当時より数倍広い部屋に住んでいる。
セルフ支援のアプローチはだいぶ最適化され、ほぼ自然な形で「本人だけがその面影を感んじられる程度」になっているが、散らかることはあってもそこまで酷くなることはない(逆に、簡略化にはある程度の部屋の広さが必要だった。とも思う)

培われた技能がこんなところで活かされるなんて思ってもみなかった。

目からウロコが落ちた僕は、以降あらゆる面で技能を発揮し今に至る*2

まだまだ僕には問題がある。
今もひっそりと継続中である。

 

蛇足。

“セルフ支援”とカッコつけていっても、これは一般人の一般的な努力と大して変わらないのかもしれないと思う。

昔どこかで聞いた障害者の親御さんの言葉を思い出します。

「障害のある子を育てているときは、育児とは共に学び共に成長するという感じだった。だけど定型の子供を産んでその考えは変わった。定型の子は勝手に学び勝手に成長していった。まさにスーパーマンだった」(うろ覚え

*1:自然でなければ定着しない、最小限でなければ環境への依存が大きくなる

*2:ただしできないことはできない。例えば感覚的に理解しきれないことに関しては、今も疎い